維新の会を率いる橋下氏の登場と共に、リーダー待望論が聞かれるようになりました。国政レベルの改革案として、橋本氏は、首相公選制の議論も提起すると報じられています。
リーダー待望論の背景には、民主党政権成立以来、我が国が未曾有の危機に直面していることがあるのですが、諸外国の事例を見ますと、国民が強い指導者を求める国は、必ずしも安定した強い国ではない、というパラドックスがあります。財政問題で揺れているギリシャも、ポルトガルも、スペインも、過去に軍事独裁が成立していた国ですし、北朝鮮を観察すれば、それは一目瞭然です。その理由は、おそらく、リーダーという名の救世主願望は、国民の依存心の裏返しであるからなのかもしれません。つまり、困難な問題は、国やカリスマ性のある誰かに解決してもらいたいのです。このことは、国民ひとりひとりの自己解決能力が低下していることの現れでもあります(あるいは、指導者が、国民がこの能力を発揮しないように押さえつけているのか?)。また、外政と内政では、リーダーシップに求められる資質や要件も違いますので、外向きには強そうでも、内情は”ぼろぼろ”であることも珍しくありません(特に市場経済は、決定権が広く分散していないと機能しない…)。
首相公選制は、前向きに検討すべき議題ですし、的確なリーダーシップの発揮によって、危機から脱出した事例も枚挙に遑がありません。しかしながら、リーダーといえども人間である限りは万能ではないのですから、リーダー待望論の文脈から導き出された首相公選制が、民主的な手段で選ばれた独裁者の出現であってはならないと思うのです。
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