アメリカによる1月3日のベネズエラに対する軍事作戦は、吉凶の判断はまだ早いにしても、国際社会を根底から大きく揺さぶることになりました。先ずもって主たる論点となったのは、国際法における合法性であり、事件直後から、同作戦を違法として非難する声が内外から上がっていました。ベネズエラ情勢を重く見た国連でも、1月5日に安全保障理事会が開かれ、当事国となるアメリカを含む常任理事国並びに非常任理事国との間で論戦が繰り広げられたのです。
国際法違反の常習犯とも言えるロシアや中国が、アメリカに対して国際法違反の烙印を押して非難したことには呆れかえるのですが(因みに禁反言の原則に照らせば、中国による台湾の武力併合も当然に国際法違反・・・)、同緊急会合での主たる論争の焦点も、対ベネズエラ軍事行動の合法性の如何でした。一方のアメリカも、同批判に対して麻薬密輸に対する法の執行を主張し、自らの行動の正当性を主張し応戦したのです。もっとも、それが対米批判の口実であれ、現代という時代が、中国やロシアといった暴力主義国でさえ国際法上の合法性を意識せざるを得ない時代に至っていることを示しています。
かくして、今般の一件でも、国連安保理では、会合に集合した理事国の代表の各々が自らの見解を述べる場となったのですが、現代が武力行使に関する争点が国際法上の合法性に移行している時代である点を考慮しますと、国連安保理は、国際紛争の解決能力機関としては不適切なように思えます。何故ならば、合法性の判断は、公平・中立な立場にあり、独立性が保障されている‘司法機関’が担うべきですし、国際犯罪にして国家犯罪への対応としての武力行使は許されるのか、といったファジーな問題領域に関する新たなルール作りを要するならば、国連総会の方が適しているからです。
そもそも、国連安保理とは、国際連合の仕組みを引き継ぐ形で、国際社会における国家間の対立を平和裏に解決するために設けられた‘政治機関’です。安保理は、その出発点にあって法律問題を解決し得るようには設計されていないのは、国際聯盟規約第12条にあって、‘国交断絶の虞のある紛争’について、仲裁裁判、司法的解決、並びに理事会の審査の三者を併記しているところからも明白です(第14条では、常設国際司法裁判所の設置を規程・・・)。しかも、国際聯盟設立時にあっては、主として国際紛争は大国間の利害調整の問題と見なされていたため、国連は、常任理事国を軍事大国に限定した大国主義の制度も継承しています。国連に至っては、第7章の問題に限定されているとはいえ、安保理常任理事国に事実上の拒否権という特権まで与えられているのです。
安保理のメンバーを見ましても、常任理事国であれ、非常任理事国であれ、何れも理事国の外相レベルの政治家が政府を代表して出席しています。国際法の専門家でもありませんし、これらの代表を送り出している理事国の政府のメンバーでさえ、国際法に精通しているのかどうかは怪しい限りです。‘政治裁判’ともなりかねませんし、上述した常任理事国の拒否権による‘ブロック’は、司法機関であればあり得ないことです。つまり、国連安保理の場にあって、参加した理事国が合法性の有無を言い争ったとしても、それは問題解決には繋がらず、無意味な非難合戦に過ぎなくなるのです(つづく)。
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